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「百害あって一利なし」は嘘。一利を見つけられないのは自分の能力不足。- コラムのようななにか

Other > コラムのようななにか 2019年7月19日(最終更新:1月前)

百害あって一利なし。
という言葉があるが、実際のところ、百害あれば一利くらいは何事にもあるものだ。

僕の職場には、内心「騒音BBA」と呼んでいる女がいる。
具体的な年齢やキャリアに興味は無いが会社の古株のようで、いわゆる「お局様」という奴だ。

しかしこのお局様。とにかく下品だ。
休憩室でも黙れば死ぬのかとうんざりするほど喋り続けるのだが、その内容は自己中心的、他者共感性が欠落し、自分の意見が世界の正義とでもいうような、典型的な「関わってはいけない人種」。

騒音BBAの「百害」

自分が喋られれば内容は何でも良いらしいので、ニュースの話題などをよく口にするが、
自殺した人間に対し「逃げれば良いのに」
他者を巻き込んで死んだ人間に「一人で死ね」
などなど。

自分の話をすれば、何々が迷惑で、酷い思いをして、などの悪口や文句、苦労話。
食事の場で食べ物にケチをつけ、人の趣味嗜好にケチをつけ、マウント取りが趣味のご様子。

典型的な、
『周りに甘え倒して碌な苦労もしたことがないくせに、酸いも甘いもかみ分けた気になって上から目線で物を話すクソみたいな人間』だ。

それだけではない。
物を叩きつけるように置き(おかげで第一印象から最悪だった)、ガンガンと酷い音を立てながら地面を踏み抜くように歩く。

もはや一切の関わり合いをすべきではないと、存在をなるべく認知しないように、無視するようにしていたのだが、何の嫌がらせかプロジェクトの関係で同じ島にされてしまった。

すると、オフィスでも私語が多いわ(たいていが悪口や悪態)、人と話すときに腕を組むわ、机の上に発光物体を置いて鬱陶しいわ、自分の暑い寒いで換気の有無を命令するわと本当にやりたい放題。
休憩室よりもオフィスの方が床が音を立てやすく、そのため近くを通られるたびに足音で気分が悪くなる。

正直、ノイローゼになっていたと思う。
仕事を辞めることを考えたし、脳内では何度もBBAが動かなくなるまで殴りつけた。

上司にその一端が伝わったことで、僕はフロア移動となって、騒音BBAから離れることができた。
が、休憩室には相変わらず奴がいるし、扉越しでも階段を上下する音が聞こえる。

未だにそれが、毎日不快で仕方がない。

さて、まさにそんな「百害あって一利なし」と言えそうなクソ女だが、一利だけあったのだ。
こいつが僕にもたらした「利益」が。

BBAの足音が酷すぎて、自分の足音を鑑みた

今まで人の足音など気にしたことがなかったのだが、BBAの足音にノイローゼになっていると、今度は自分の足音が気になってくるものである。

自分の足音で他者を不快にさせていないだろうか、と。

意識してみると、僕の足音は過剰に煩くはなかったと思うが、とりわけ静かというわけでもなかった。
そこで足音について調べてみれば、

・足音が出る歩き方は、正しくない歩き方
・正しくない歩き方は、膝や腰の痛み、下半身太りの原因になる

といった話が山のように出てくるではないか。

というか自分の体の中で尻から腿にかけてがやたら脂肪質だなぁとは常々思っていたのだが、原因はもしや歩き方なのか!?

そんな話を母にしてみれば、
「アンタは小さい頃から相撲取りのように体を横に揺らして歩く」

小さいころ『から』? ということは、今も?

「今も。おかげで、遠くからでもアンタが歩いてるのが分かって便利

ちょっとこれは、なんとかしなければならない!!!
というわけで、僕は心から真剣に歩き方矯正をすることに決めたのだった。

百害あれば、「一害」くらいは自分の不出来に結び付く。それこそ「一利」

それから、色々な分野の専門家の視点から書かれた文章を読み、様々な対処法を試した。

靴も一因とあったので選び方も改めるため、人生で初めてシューフィッターのいる店に入り、人生で初めて5桁の靴を購入した。

そして最近、母と共に観光地へ行くことがあったのだが、

「遠くからアンタを見分けるのが難しくなった」

確かな改善が見られたのである。
願わくば、このまま尻から腿にかけての脂肪も落ちてくれるとありがたい…。

勿論、結果として副次的効果になったが、この試みにより自身の足音も激減した。
騒音BBAの足音がきっかけで、自分の足音・歩き方が大幅改善したのである。

人の振り見て我が振り直せ、という言葉がある。
他人の不快な様は、自分を見直し、その至らないところを自覚するためのチャンスなのだ。

軽率に「百害あって一利なし」などと口にしてはいけない。
大抵は、百害あれば「気づき」という名の「一利」は見つけられる。
一利を見つけられないなら、それは自分を改善しようとする意識、自分を顧みる能力が不足しているのだ。
他人の不出来を晒すようで、自らの不出来を露呈しているのである。

僕の職場には相変わらず騒音BBAがいて、BBAは相変わらず今日も不快を振り撒いて生きているが。
その不快な足音を嘲笑う程度の知識と余裕が身に着いた。
その点だけは、あのBBAに感謝してやっても良い。今ならそう言える。

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